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2010年2月11日 (木)

「浜下り・オイセコドン」の日が「建国記念日」

 この日が来れば「日本神話と古代国家」の著者で「建国記念日」反対論者の「直木孝次郎」を思いだす。

 直木が、『帝紀・旧辞はたんに古い言い伝えを書き集めただけのものとは思われない。天皇の国家支配に役立てること、いいかえると、天皇には日本を支配する正当な理由があるということの説明が、帝紀・旧辞編集の主な目的であり、そのため古い言い伝えがかなり書き改められたにちがいない』(同書 18頁)

 と述べて「事」を始めて、

 ≪『記・紀』の内容は、簡単に信用できない≫。≪すると、何によって古代の歴史を考えるのか。≫(同書 19頁)

 になって、あげくの果て、本県でも、その毎年の『記念式典』は、グループを違え、場所を違えてそれぞれに執り行ってきた、と思っているからである。

 しかし、今年はどうなのであろう。

 というのも、去年までは「左翼」とまでは言わなくてもこの「津田・直木派」に加担するかに見えて「野党」であった人々が、「政権与党」となり国を牛耳っているからである。

 今日の「建国記念日」の様相に変化があるものか、新たな興味を覚えたのである。

 そもそも、ジブンテキには、『オイセコドン』の日が『建国記念日』とされることは至極理に叶うもので、

 『トコロ神・大山津見神・山の神・祖神』にも「キバッテもらう」ため『ヤマンカンが浜下りされる道ツクイ』をし、

 『祖神』にまでも『あらたま』を、『アマつ神』から頂戴しようという『春の祈願祭・お磯参り・浜下り』の日が『建国記念日』とされたことは、”ゴモットモ”で当然なのである。

 直木孝次郎は『「記紀」の神代の物語は比較的後代に天皇の立場から編集されたもので、古代の民衆に広く信じられていた神話ではないという点では、津田学説と軌を一にする』(同書 37頁)

 などと、ぜんぜん納得いかない「津田派の証拠」で『民衆に広く信じられていた神話ではない』で片付けてあるが、

 『日本の伝統の祭』は『記紀神話が告げる神学』に則るもので、

 『太古の伊勢には太陽神信仰があった』などと証拠のない妄信でもって 「列島の神を日神」と説く「直木等」が

 『「記紀」神話』から『建国記念日』どころか『紀元節』であっても「ふさわしい日」など見つけられるはずがない。

  加えて、近頃、

 直木の説き様に『納得いかない部分』が、ジブンテキには、更に明確に、なった。

 直木が、『天皇の国家支配に役立てる』ために『古い言い伝えがかなり書き改められた』と述べる部分である。

 これはマチガイで、『古い言い伝え』について『書き改める』ことをしたのは『天武一族』に過ぎず、

 それも『日本書紀に手を加えただけ』と確信するようになった。

 つまり、『歴史』だけでなく『日本文化』までも歪めたのは、『天武の王権簒奪』以外にないと考える。

 その「天武禍」の真相は、それまでの「各地、土豪の支配体制」を『班田収授』をよそおう巧妙な『土地の収奪』によって『専制君主たらんと意図』したもので、

  『律令政治』でカムフラージュしながら、「仏教勢力」の手助けまで見込んで、自らの野望の貫徹に邁進したものと考える。

 成果は戦後の直木等「岩波学派?」によって強烈に使用されてきた『服属』なる歴史用語から「神仏習合」に及ぶ 『歴史、文化』から『政治』までグシャグシャにする『文化大革命』となり、

 「明治の賢人達」による『再構築』の試みも失敗して、昭和20年の惨劇に到った、と思っている。

 『応神天皇の王朝』以前の「記紀」の記録は『伝承されたもの』であろうが、『神話の神学』は、時代を積み重ねてきた『列島の俳優』が肉体に記憶させ、伝えてきた歴史で、

 『文字』が伝わったとき『文章化』されたものが根にあると考えている。

 『浜下り』のオイセコドンの『2月11日』が『建国記念日』であることは、『天孫と夫婦となった阿多津姫の原郷』の人間として、喜ばしいことである。

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