「土器棺墓」! 南摺ヶ浜遺跡と風葬 &『薩摩塔』
4・5日前から「土器棺墓」が「縄文晩期」から云々と、マスコミが報じる。
昔からあったのかも知れないが、それが、『高さ20―40センチ、直径20―30センチの深鉢』云々とあって写真まで見られたのは初めてであった。
ここで、今年1月19日、このブログで述べたことが甦った。
『?立石土坑墓?』群として紹介された『指宿南摺ヶ浜遺跡』の『現場説明会』に参加して感じた、
『風葬と再葬』の『古代』の歴史である。
わが南薩の「小字」に多い「耳切・耳取・耳原」が「風葬」の場所で、
『古代隼人』に、南島にも等しく認められる「両墓制」の土地を思わせるのである。
「土器棺墓」の実態が、適正な『定義』を得て、新たな『隼人の古代史』への展望を切り開いてくれることを願う。
もう一つ、南薩『川辺』で気になっていた『薩摩塔』が、今日のブログに登場していた。
『宝光院跡から発掘されたもので,室町時代の作。薩摩半島にだけ残る貴重な仏塔』などと、地元では紹介されるが、
『福岡県の久山町』、志賀島の西・香椎宮の西のあたりの考古発掘調査で、『中国商人』と関係で取り上げられている。
いずれも、鹿児島県の当局『教育委員会文化課』で、関連情報を県民に明らかにして欲しい。
それにしても、今朝、南日本新聞を見て『パッと目が覚めた」。一面トップのことである。社長もかわったようだし、なんかがかわるのかもと思った。

こんばんわ。
いつも興味深く拝見しています。
今回のニュースは稲妻が走ります。
昨年辺りから隼人の墳墓巡りをして
古代の隼人の葬祭に思いを馳せて
いました。
また、念願だった鹿児島神宮の
四方の鎮護社で最後となった「投谷八幡」を
父と参拝でき感激しています。
今後も愉しい洞察を期待します。
寒くなります。風邪等にご留意され
お励み下さいますよう。
投稿: nick | 2008年12月 8日 (月) 19時30分