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2008年12月10日 (水)

奈良・平安時代の「薩摩遺跡」に「檜前主寸」が

 「奈良県高取町の薩摩遺跡」で「文字史料」が得られ、「檜前主寸」の名が認められた、と、報じられている。

 いつも参考にさせて頂いている「双槻会ブログ」で知った。
ナンタッタテ 「槻の木」は、ご先祖さまが「縁がある木」ですから!! 

(南日本新聞には、マーダダ ヨー!!)

「檜前主寸(ひのくまのすぐり)」一族の先祖の名は『串木野』の『史誌』等にも記され、

 一帯に中世に知られる『大蔵氏』も、その族人では思っている。

精しい方に関係ありそうな歴史を説いてもらいたい。

 ナンチュテン  県民38万戸の人々も知って欲しい『先祖の歴史』である チ オモ ト ゴワンドン。

 『薩摩』が付される奈良のこの遺跡については、

 「2006年6月号 隼人と豊国
    ― 定説「隼人は豊国勢に支配されていた」への反論 ― 」

に、次のように述べた。

 先に『蛇行剣』のところで触れた橿原考古学研究所の「北山峰生」が、奈良盆地の「薩摩遺跡」にかかわっていることを知った。

 奈良県高市郡高取町の「薩摩」なる地名については、二つの拙著の中でも触れてきた。

 その土地に「薩摩遺跡」なる遺跡が発掘されたとは、本貫『薩摩』の、テレビ・新聞等で聞いた覚えがないが、ボケたのか。
 
 『高取町薩摩遺跡の調査 現地説明会資料(2004年12月18日)』のホームページがそれである。

 ここの「薩摩」が「隼人の薩摩と関係あるのか」の疑いは、そこの近隣に「兵庫・吉備・土佐」など、古今を通じて有力な国の名が集落名として連なることから疑問の余地はない。

 近くには、前月号で述べた「神武天皇社」や吾平姫の「ほんだわら社」もあり、南隣は「大淀町今木」や「阿田の広域地名がある五條市」になる。

 『古墳時代前期と中期の古墳群が見つかった薩摩遺跡』
 『周辺で遺跡が確認されたのは初めてで、地名から薩摩遺跡と命名』
 『国内では例のない文様を描いた国産の銅鏡が見つかるなど、副葬品は豊富』
 『紀路に面した古代の一等地』云々、
等々ある。

???「野族・賎民の隼人説」は、本当に成り立つのですか???

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