伊勢神宮寺の仏像
昨夜、BS hi 「にっぽん心の仏像~知られざる仏 50選」を見ていた。
今、番組の正しい名称を確認しようとNHK番組表をネットに求めた。
すると、そこの説明に、「共同体を支えている仏像」なる文言があった。
アレッ!と感じたので、まずは、そのことについて。
「仏像」は「信仰のものしろ」、と思っている。
「信仰」は「個人」の属するもので、「共同体を支えるような具」であってはナラナイ、のではないのか。
「宗教裁判、神の沈黙;戦前の教室の神棚、廃仏毀釈」等々、考えれば分かろう。
とりわけ、「神像や仏像」等、目に見え、触れることができる「ものしろ」を「共同体を支え」とするのは ゴメン被る。
「神器・旗」など「共同体を象徴するものしろ」と、「支える」、つまり、「お守り」は異質である。「くそ、みそ、グシャグシャ」、一緒くたにされてはならぬ。
以上は、今、見つけたこと。
「にっぽん心の仏像~知られざる仏 50選」に、「伊勢神宮の神宮寺の仏像」が出てきた。
録画してなかったので、その「像」が出た後「神宮寺」が出てきたので「アレレノレー」で、残念ながら、よく分からなかった。
お寺も、どこか離れたところのようであった。しかし、立派そうな仏像であった。
再放送を見逃さないようにしよう。
気になった「学者の言」;①「日本の宗教は自然信仰」云々、どういう事か。
「宗教・信仰」であれば、最低、「感謝」の時と場が求められよう。「自然」?
②「なに」がそうなのか、よく理解できなかったが「発達・変化」を説いていた。
「教団や仏像」にはそれがある。が、「信仰・宗教」には「転向・改宗」しかない、のではないか。
トニカク、
「信仰」と「美術品」をゴッチャにしないようにして欲しい。
昨夜や、これまでの番組の、ことの真相は、流行の「いやし」にかかわる心理学的関心事ではないのか。

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